妙福寺について
妙福寺
宗名:浄土真宗
宗派:浄土真宗本願寺派
本山:西本願寺
本尊:阿弥陀如来
葬儀・法事
・通夜・葬儀・七日参り・納骨式・月忌参り・祥月命日法事・年忌法要・入仏式など
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法座のご案内
【永代経】毎年5月頃におつとめしています。
【盆会】毎年8月16日に親鸞聖人の月命日の講と合わせておつとめしています。
【お彼岸・仏教婦人会物故者追悼法要】毎年9月におつとめしています。
【報恩講】毎年10~11月頃におつとめしています。
【16日講】毎月16日の宗祖親鸞聖人の月命日に合わせて講をつとめます。13
時30分から正信偈のおつとめ&ご法話&仏教讃歌です。
【常称会】藪てい子のご命日をご縁に毎年2月14日に法座をおつとめしています。
妙福寺縁起
貞永元年(1232年)2月
筑後国生葉郡星野城主星野右衛門大夫鎮実(左近大輔鎮実)が菩提所として建立。創建時は天台宗 後に禅宗となり 金谷山 延寿寺と称した。
鎮実の裔、福丸城主星野下野守鎮康の息民部亮実親が住職空西を導師として剃髪し了西と号し、後嗣となって真宗に転じ、妙福寺と称した(寛文開基帳には大永元年(1521年)空西開元すとある)。
明暦元年(1655年)
有馬家二度目の西本願寺派追放の折、該当寺院として追放をうけ、筑前に亡命、篠栗に西派の妙福寺を開創。(当初は篠栗宿内の造り酒屋の一角を借りての説教所だった模様。
※約20年かかって妙福寺本堂が篠栗の地に建立されるまでの経緯は現在資料集め中です。
延宝二年(1674年)
篠栗宿内に在 黒田藩の許可を得てから本堂建物が建つ。
そこに御安置されていたのが、慶長7年(1602年)に真宗が東西本願寺に分かれ、慶長9年(1604年)11月本山(西本願寺)より木仏寺号を許された西本願寺派追放の折に筑後から持ち出されたものであったのだろう(『拾遺』を読むと他寺のご本尊について本山の「証文」が無い時には「証文なし」と記してある)。
※妙福寺は篠栗宿駅内 篠栗町中町2組に有った最初の村役場の所(現在の中町公民館付近)に在寺。
明治19年(1886年)、
妙福寺火災に遭う
明治27年(1894年)5月、
藤金作氏から妙福寺寺地及び祠堂田として田三反九畝十八歩を寄附いただく。
明治31年(1898年)
篠栗街並みの大火に二度目の相遇。
明治35(1902年)年10月
街並みから離れた現在の篠栗小学校南側に建つ妙福寺本堂庫裏再建工事準備等が行われていた。
※また、現在の妙福寺建立に際しての住職のこと、ご門徒のご助力についても詳細資料収集中です。